遊園地がなかった時代、子どもたちはどこで遊んでいたのか
公開日:2026-09-22
ジェットコースターや観覧車がある遊園地は近代の発明だ。それ以前の子どもたちはどこで、何をして遊んでいたのか。
チケットを買って入り、乗り物に乗って一日中遊ぶ——遊園地という場所が生まれたのは近代のことだ。
それ以前の子どもたちには遊園地はなかった。しかし子どもはいつの時代も遊び、走り、声を上げた。その場所は今とは全く異なっていた。
今、当たり前にあるもの
現代の日本には東京ディズニーランド・ユニバーサル・スタジオ・ジャパンを筆頭に大型テーマパーク・遊園地が各地にある。室内の子ども向けプレイエリア・ゲームセンター・ボールプール施設なども加わり、「子どもが遊ぶための場所」は多様化した。
デジタルゲームも子どもの遊びの中心になり、外で遊ぶ時間が減っているという指摘もある。
それがなかった時代
遊園地がなかった時代、子どもたちにとって最大の遊び場は「野原・川・路地」だった。
田んぼの畦道・川べり・空き地が子どもたちの王国であり、自然のなかで鬼ごっこ・かくれんぼ・相撲・凧揚げ・石投げをして遊んだ。川では魚を捕り、昆虫を追いかけ、木に登った。
寺社の境内も重要な遊び場で、縁日には見世物・的当て・金魚すくいなど子どもが楽しめる出し物が集まり、年に数回の「お祭りの遊び」として子どもたちが心待ちにした。
独楽(こま)・めんこ・手毬・竹馬・お手玉・羽根突きなど、道具を使う伝統的な遊びも豊かで、季節によって遊びが変わった。
どう変わってきたか
近代的な遊園地の概念はヨーロッパ・アメリカから伝わり、日本では明治時代に「浅草公園」が見世物・乗り物を集めた娯楽地として機能し始めた。
1912年(大正元年)に宝塚新温泉(現・宝塚ファミリーランドの前身)が開業し、次いで向ヶ丘遊園・としまえんなどが開業して「遊園地」という業態が確立した。
戦後に東京タワー(1958年)・後楽園ゆうえんち(1950年)などが次々開業し、高度経済成長期の子どもたちにとって「遊園地に行く」ことは特別な行事になった。ディズニーランドの日本開業は1983年だ。
遊ぶことの意味
野原で泥だらけになって遊んでいた時代の子どもたちは、「遊びを作る」必要があった。
ルールを決め、役割を分担し、喧嘩して仲直りしながら遊ぶ経験のなかに、人付き合いの基礎があった。遊園地や施設が「用意した遊び」を提供する現代と、自分たちで遊びを作り出した時代では、遊ぶことで育まれるものが異なるという指摘がある。
どちらが良いというわけではない。ただ、遊び場の姿が変わるとともに、子どもたちが学ぶことも変わり続けている。