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火葬がなかった時代、日本の葬送はどのように行われていたのか

公開日:2026-10-17

火葬がなかった時代、日本の葬送はどのように行われていたのか

亡くなった人を送る方法は、時代と地域によって大きく違っていた。現在当たり前の火葬は、日本の歴史の中では比較的新しい選択だ。

人が亡くなったとき、どのように送るかは、その社会の死生観を映す。

火葬場で荼毘に付され、骨を骨壺に収める。現代の日本では葬儀後の火葬が当たり前だが、日本の全火葬率が99%を超えるようになったのは近年のことで、歴史的には土葬が長く主流だった。

今、当たり前にあるもの

日本の火葬率は2022年時点で99.97%(厚生労働省衛生行政報告例)で、世界で最も火葬率の高い国のひとつだ。葬儀後に火葬場で火葬し、遺骨を家族が骨壺に収めて持ち帰る「お骨上げ」の儀式は、現代日本の葬送文化の核心部分だ。

骨壺に収められた遺骨は、菩提寺の墓や公営霊園などに納骨されることが多い。

それがなかった時代

縄文時代の日本では土葬(屈葬:体を曲げた状態で埋葬する形が多い)が中心だった。弥生時代には甕棺(かめかん)による埋葬も見られる。

日本に火葬が伝わったのは仏教と同じく7世紀頃で、最初の記録としては702年(大宝2年)に文武天皇が火葬されたことが日本書紀に記されている。その後、聖武天皇・光明天皇など朝廷の上流階級に火葬が広まったが、庶民に普及するにはさらに長い時間がかかった。

江戸時代まで、農村部の一般庶民は土葬が普通だった。菩提寺の墓地に穴を掘って棺ごと埋める。遺体の扱いは現代と全く違っており、近隣の人々が集まり、夜通し線香を絶やさず見守る「通夜」という慣習は、遺体を虫や動物から守る実用的な意味もあった。

どう変わってきたか

明治政府は初期に「神仏分離令」を推進した際、一時的に火葬禁止令(1873年)を出したが、都市部での衛生上の問題もあり2年後に撤回した。

火葬が全国に広がったのは、主に20世紀に入ってからだ。都市部での土地不足、衛生上の問題、交通の発達による移送の便など、複合的な理由から火葬が普及していった。戦後の高度成長期には火葬場の整備が進み、1970年代には都市部での火葬率がほぼ100%に達した。地方の農村部でも1980〜90年代にかけて土葬から火葬への移行がほぼ完了した。

死を送ることの変化

葬送の形は時代とともに変わり、現代もその変化の途上にある。

家族葬の増加、樹木葬・海洋散骨という新しい選択肢の登場、墓じまいという現象。少子化と核家族化の中で、「お骨をどこへ納めるか」という問いが改めて問われている。

亡くなった人をどう送るかは、生きている人たちの価値観と社会の形を反映する。火葬が当たり前になった現代の日本では、その「当たり前」の中にどれだけの歴史の変化が詰まっているかを、折々に思い返すことができる。

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