公園がなかった時代、都市の人々はどこで息を抜いていたのか
公開日:2026-09-19
公園は近代になって生まれた概念だ。誰でも自由に入れる屋外の公共空間がなかった時代、人々はどこで休息し、体を動かしていたのか。
芝生で子どもが走り回り、ベンチで老人が将棋を指す。そんな公園の光景は、近代に生まれたものだ。
「誰でも自由に入れる公共の屋外空間」という概念は、江戸時代の日本には存在しなかった。それ以前、人々はどこで外の空気を吸い、体を動かしていたのか。
今、当たり前にあるもの
現代の日本には約11万か所の都市公園が整備されており、遊具・芝生・ベンチ・トイレが設置された空間が生活圏内にある。国立公園・自然公園も整備され、自然の中での余暇が誰にでも開かれている。
公園は防災・避難・コミュニティ形成の場としても機能しており、都市インフラの一部として位置付けられている。
それがなかった時代
公園に相当する機能を担っていたのは、主に「寺社の境内(けいだい)」だった。
神社・仏閣の境内は、信仰の場であると同時に市民が集まる広場として機能していた。縁日には露店が立ち並び、見世物・曲芸・香具師が集まって賑わった。子どもたちが走り回る場所でもあり、地域のコミュニティの中心だった。
「花見(はなみ)」の名所として知られる場所も、寺社や大名屋敷の庭を特定の時期だけ開放するものだった。上野の山(現・上野公園)は寛永寺の境内であり、飛鳥山(現・飛鳥山公園)は8代将軍吉宗が庶民に開放した花見の地だった。
川べりや橋のたもとも、人々が涼みながら集まる非公式な「くつろぎの場」だった。
どう変わってきたか
日本に近代的な公園が誕生したのは1873年(明治6年)の「太政官布達(だじょうかんふたつ)」によるものだ。政府が「公園」を制度として定め、上野・浅草・芝・深川・飛鳥山の5か所を東京の公園として指定した。
これは西洋の「パーク(Park)」概念を取り入れたもので、市民が自由に利用できる公共空間として整備された。明治政府が近代都市を設計するなかで、公園は衛生・市民の健康・文明開化の象徴として重視された。
戦後の都市計画で公園整備がさらに進み、1956年の「都市公園法」によって全国的な整備基準が設けられた。
共有できる空間の価値
公園の登場以前、屋外でくつろぐ場は宗教施設の「おまけ」として存在していた。
近代に生まれた公園は、宗教・身分・年齢を問わず誰でも入れる「中立の場」だという点で革新的だった。誰のものでもない空間が、全員のものとしてある——この概念は今では当たり前だが、歴史の中では全く普通ではなかった。