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産院がなかった時代、赤ちゃんは家で生まれるものだった

公開日:2026-11-08

産院がなかった時代、赤ちゃんは家で生まれるものだった

病院で生まれることが当たり前の現代。しかし医療機関での出産が標準になったのは戦後のことで、それ以前は家での出産が普通だった。

現代の日本で生まれる子どもの99%以上は、病院または診療所・助産院で生まれる。

医師や助産師が立ち会い、モニターで胎児の状態を確認しながら出産する環境は、現代人にとって当然のものだ。しかしこの「当然」は、ほんの数十年前に確立したものだ。

今、当たり前にあるもの

現代の産科医療では、妊婦健診(平均14回程度)で経過を管理し、超音波検査で胎児の発育を確認する。分娩監視装置が陣痛と胎児心拍を記録し、緊急時には帝王切開(全分娩の約20〜25%)が迅速に行える体制がある。

無痛分娩(硬膜外麻酔)の選択肢も広まり、産後の入院中も母子の管理・授乳指導・育児指導が行われる。

それがなかった時代

明治時代以前、そして昭和初期まで、出産は家で行われるのが普通だった。

産婆(さんば)と呼ばれる女性が出産を助ける役割を担っていた。産婆は地域に根ざした存在で、経験と口伝で技術を受け継いでいたが、医学的な訓練は限られていた。

産室は特別に設けられた「お産の間」で、外から穢れが入らないよう特定の場所に限定され、男性(夫を含む)の立ち入りを禁じる慣習が多くの地域にあった。出産は女性たちだけの場で行われ、難産の場合には命がけの試練となった。

妊産婦死亡率と新生児死亡率はともに現代と比べ格段に高かった。明治時代の乳幼児死亡率(1歳未満で死亡する割合)は約20%以上と推計されており、生まれてきても成人まで生き残れない子どもが多かった。

どう変わってきたか

近代的な産科医療の始まりは明治時代の西洋医学導入だ。1868年の明治維新以降、政府は西洋医学を正式な医療として採用し、医師・産婆の免許制度を整備した。1899年(明治32年)に産婆規則が制定され、産婆の教育・免許が制度化された。

戦後の転換点は1948年の「保健師助産師看護師法」の制定だ。助産師の専門教育が体系化され、病院・診療所での出産が推進された。国民健康保険の整備(1961年に全国民が加入)で医療費負担が軽減し、経済的に病院出産が選べるようになった。

1960年代から施設出産(病院・診療所での出産)が急増し、1970年代にはほぼ100%に達した。在宅出産がほぼ消滅したのは、この時期のことだ。

誰と、どこで生まれるか

出産の場所と立会者の変化は、家族の形と医療観の変化でもある。

家での出産では、産婆と女性家族が中心で、夫は立ち会わないことが多かった。病院出産の普及とともに、夫(や家族)が立ち会うスタイルが広まり「家族の誕生の瞬間」という現代的な価値観が生まれた。

今、日本の出生数は減少し続けている。生まれてくる命が減るなか、一人ひとりの誕生に込められる医療と家族の思いはより深くなっている。

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