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予防接種がなかった時代、感染症は防ぐ手段がなかった

公開日:2026-10-04

予防接種がなかった時代、感染症は防ぐ手段がなかった

注射一本で感染症を予防できる。その当たり前は、天然痘との長い闘いの中から生まれた。

子どものころ、病院で注射を打たれた記憶がある人は多いだろう。

何かが嫌だったのか、腕の痛みか、待合室の緊張感か。しかしあの注射が、かつては命を奪っていた病気から体を守っていたとしたら、記憶の重みが少し変わる。

今、当たり前にあるもの

現代の予防接種は、定期接種と任意接種に分かれ、生後2ヶ月から始まる複数のワクチンが子どもに接種される。ポリオ、麻疹(はしか)、風疹、ジフテリア、破傷風、百日咳、水痘、日本脳炎など、かつて多くの子どもの命を奪った感染症を「打つだけで」予防できる。

ワクチンは、弱毒化または不活化した病原体の成分を体に入れることで、免疫系に「敵の記憶」を作らせる。実際に感染した場合よりもはるかに安全に、抗体を獲得できる仕組みだ。

それがなかった時代

人類が感染症に対して初めて有効な予防手段を持ったのは、18世紀末のことだ。英国の医師エドワード・ジェンナーが1796年に牛痘ウイルスを使って天然痘の予防接種(種痘)を行い、その有効性を示した。

それ以前、天然痘は人類史上最も多くの命を奪った感染症のひとつだった。生存者にも顔に深い痕が残り、失明することもあった。18世紀ヨーロッパでは天然痘による死者が年間40万人を超えたとも記録されている。感染者に接触した牛乳搾りの女性が天然痘にかかりにくいという観察から、ジェンナーは牛痘の接種というアイデアにたどり着いた。

日本に種痘が伝わったのは1849年(嘉永2年)のことで、緒方洪庵が大阪に「除痘館」を設けて普及に努めた。しかし全国への普及は遅く、明治政府が種痘を義務化したのは1872年(明治5年)のことだ。

どう変わってきたか

20世紀に入るとワクチン開発は加速した。ジフテリア・百日咳のワクチンが開発され、ポリオ(小児麻痺)のワクチンも1950年代に実用化された。日本でもポリオワクチンの経口接種が1961年から始まり、年間数千人規模で発生していた患者数が急減した。

最大の成果は天然痘の根絶だ。世界規模の予防接種キャンペーンにより、1980年にWHO(世界保健機関)が天然痘の根絶を宣言した。人類史上、感染症が地球上から根絶されたのはこれが唯一の例だ。

2020年以降には新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンが記録的な速さで開発・普及し、ワクチン技術の新たな可能性が示された。

予防という発想

病気になってから治す、ではなく、病気になる前に防ぐ。

この発想の転換が、公衆衛生の基本になっている。ワクチンの普及により、かつて子どもの主要な死因だった感染症の多くは激減した。1900年代初頭に5歳未満で亡くなる子どもが全体の3割を超えていた時代と比べれば、現代の状況は劇的に変わっている。

小さな子どもが腕をさすりながらうつむく、あの診察室の光景は、ひとつの安堵の形でもある。

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