理容院がなかった時代、髪はどうやって切っていたのか
公開日:2026-09-20
床屋・美容院が当たり前にある現代。しかしそうした専門店が存在しなかった時代、日本人は髪をどうやって整えていたのか。
鏡の前に座り、熟練の手で髪を整えてもらう——理容院・美容院は現代の生活に溶け込んでいる。
しかし専門的な理髪師が地域に存在する社会が整ったのは、比較的新しい時代のことだ。それ以前、人々は髪をどうやって管理していたのか。
今、当たり前にあるもの
現代の日本には約23万軒の理容所・美容所があり、人口100人あたり約2軒という高い密度で存在する。カット・カラー・パーマ・トリートメントなど多様なメニューを専門家が提供し、定期的に通うことが一般的だ。
低価格チェーン(QBハウスなど)の登場で、1,000円前後でカットが受けられる選択肢も生まれた。
それがなかった時代
江戸時代の日本人の髪型は、現代とは全く異なっていた。
武士の男性は「髷(まげ)」を結い、頭頂部を剃る「月代(さかやき)」にするのが一般的だった。この髪型の手入れには専門の「髪結い(かみゆい)」が必要で、武家や商家では専属の髪結いが定期的に訪問した。
庶民向けには「髪結い床(かみゆいどこ)」という屋台・小店が存在し、江戸市中に3,000軒以上あったとも言われる。これが現代の理髪店の前身だ。髪結い師は男性の髷を結うのが主な仕事で、顔剃り(かみそり)も行った。
女性は長い黒髪を束ねて結い上げ、手入れは基本的に家族や女中が行った。「島田髷」「丸髷」など身分・年齢・既婚未婚によって結い方が異なり、その技術は女性の嗜みとされた。
どう変わってきたか
明治政府は1871年に「散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)」を出し、武士・庶民を問わず髷を切ることを自由にした。文明開化の風潮とともに「ザンギリ頭」が広まり、西洋式の散髪が急速に普及した。
西洋式の理髪を行う「調髪屋(ちょうはつや)」が明治期に増加し、これが近代的な理容院へと発展した。1978年に理容師法・美容師法が整備され、資格制度が確立した。
パーマが日本に普及したのは大正末期〜昭和初期で、西洋文化への憧れとともにおしゃれの手段として広まった。
髪型が語る時代
月代を剃った武士の髷・島田髷に結った女性・ザンギリ頭の明治人——髪型は時代を映す鏡だ。
現代の多様なヘアスタイルは個人の表現手段になっているが、江戸時代の髪型は身分・職業・年齢・結婚状況を社会的に示すものだった。「どんな髪をしているか」は、今とは全く異なる意味を持っていた。