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耐震設計がなかった時代、地震は建物ごと命を奪っていた

公開日:2026-10-30

耐震設計がなかった時代、地震は建物ごと命を奪っていた

地震が来ても建物が倒れないのは当たり前ではない。日本が世界最高レベルの耐震基準を持つようになった背景には、多くの命と長い研究がある。

大きな地震が来たとき、建物が「倒れないもの」として機能することを、私たちは当然のように期待する。

しかしこの「期待」は当たり前ではない。耐震設計という概念がない時代、地震は建物を倒し、建物が人を押しつぶした。日本が今の耐震水準を持つに至るには、多くの地震による多くの教訓と、長年の研究の積み重ねがある。

今、当たり前にあるもの

現行の建築基準法(耐震基準)は2000年に改正された基準が最新で、「震度6強〜7の大地震でも倒壊・崩壊しないこと」を求める。1981年改正の「新耐震基準」と比べてもさらに強化されており、壁の量と配置・基礎の構造・接合部の金物など、細かい仕様が規定されている。

免震構造(地盤から切り離して建物を揺れにくくする)や制震構造(ダンパーで揺れを吸収する)を採用する高層建築も増えている。

それがなかった時代

近代的な耐震設計がない時代の建物は、地震に対して脆弱だった。

日本の伝統的な木造建築は一定の柔軟性があり、強い揺れでも「変形して受け流す」という特性を持っていたが、それは設計意図というより結果として機能していたものだ。石造りや煉瓦造りの建物は特に地震に弱く、1891年の濃尾地震では明治初期に建てられた煉瓦造りの建物が多数倒壊した。

1891年の濃尾地震(マグニチュード8.0)は死者約7,000人を出した。これを機に帝国大学(現東京大学)に「震災予防調査会」が設置され、日本の地震工学研究が本格的に始まった。

どう変わってきたか

1923年の関東大震災(マグニチュード7.9、死者・行方不明者約10万5,000人)は、耐震設計の必要性を痛烈に示した。火災による犠牲が特に多かったが、建物倒壊による直接の犠牲者も多く、翌1924年には建築物の耐震基準が初めて制定された。

1948年の福井地震、1964年の新潟地震、1968年の十勝沖地震を経て建築基準が改正されてきたが、最大の転換点は1978年の宮城県沖地震だ。この地震を受けて1981年に「新耐震基準」が施行され、震度6〜7の大地震でも倒れないことを目標とする現代耐震設計の基礎が確立した。

1995年の阪神・淡路大震災(マグニチュード7.3、死者6,434人)では、1981年以前の旧耐震基準の建物の倒壊が多かったことが判明し、2000年の改正と既存建物の耐震改修促進につながった。

地震と共に生きる設計

日本は世界でも有数の地震大国で、プレートの境界に位置している。地震をなくすことはできないが、地震で命を失う確率を下げることはできる。

耐震改修が進んだビルや住宅が増えても、旧耐震基準の建物が今も多く存在している。「地震が来ても安全」という当たり前は、建物によって全く違う。その差を生んだのは、何度もの地震で多くの命が奪われた歴史だ。

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