マンションがなかった時代、都市の住まいはどうなっていたのか
公開日:2026-09-26
都市部のマンション・集合住宅は20世紀の産物だ。それ以前に人が密集して暮らしていた都市の住居形態とはどんなものだったのか。
都市部のマンションの一室で暮らす——今や日本の都市生活者の標準的な住まい方だ。
しかし鉄筋コンクリート造の集合住宅が普及したのは戦後のことで、それ以前に人が密集して暮らしていた都市の住居は、全く異なる形をしていた。
今、当たり前にあるもの
現代の日本では、住宅ストックの約4割が共同住宅(マンション・アパート)だ。東京23区では6割を超え、高層マンションが都市景観を形成している。
防音・断熱・セキュリティ機能が高度化し、宅配ボックス・コンシェルジュ・ゲストルームを備えた大規模マンションも珍しくない。
それがなかった時代
江戸時代の都市で庶民が暮らしていたのは「長屋(ながや)」だ。
長屋とは、複数の住居が壁を共有して一続きに並んだ木造建築のことで、江戸の市中に大量に建てられた。「棟割り長屋(むねわりながや)」は一棟を複数世帯で分けて使い、各戸の間口は1〜2間(約2〜4m)ほどの狭さだった。
一つの長屋を取り囲む形で共用の「井戸・便所・ゴミ捨て場」が設けられ、住人が共同で管理した。生活は近隣と密接に関わり合い、醤油・塩の貸し借り、子どもの面倒の相互扶助が日常だった。
上方(大阪・京都)では「文化住宅」という言葉が後の時代に生まれるが、江戸時代の大阪でも長屋が庶民の住まいの中心だった。武家の屋敷・商家の土蔵造りの家と、長屋が都市の住居の大半を占めていた。
どう変わってきたか
日本初の近代的な集合住宅は、1916年(大正5年)に建てられた「上野倶楽部」(東京・上野)とされる。西洋式のアパートメントハウスを模したものだった。
関東大震災(1923年)後の復興期に、耐震・耐火を考慮した鉄筋コンクリート造の集合住宅が普及し始めた。戦後の住宅不足に対応するため、1955年に日本住宅公団(現・UR都市機構)が設立され、全国に「団地」が建設された。
1962年の建築基準法改正により高層建築が可能になり、民間マンションの開発が加速した。1980〜90年代のバブル期にマンション価格が高騰し、「マンション神話」が形成された。
隣人との距離感の変化
長屋では壁越しに隣の声が聞こえ、共用の井戸や便所で毎日顔を合わせた。プライバシーの概念は薄く、生活は常に他者と接していた。
マンションは各戸が完全に独立しており、隣に誰が住んでいるか知らない、という状況が珍しくない。プライバシーが守られた一方で、都市での孤立が深まっているという指摘もある。
住まいの形が人の関係の距離感を決める。長屋の人情が懐かしまれるのは、そこに失われた何かが見えるからかもしれない。