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テレビゲームがなかった時代、画面の中で遊ぶという概念は存在しなかった

公開日:2026-11-06

テレビゲームがなかった時代、画面の中で遊ぶという概念は存在しなかった

コントローラーを握ってキャラクターを動かす。この体験は1970年代に突如として生まれた。画面の中に「遊び場」が生まれるまでの歴史。

子どものころ、ゲームをする時間が制限されていた記憶がある人は多いだろう。

「1日1時間まで」という家庭のルール。あの切実さは、画面の中に夢中になれる世界があったからだ。テレビゲームが子どもの余暇の中心になったのは、ほんの数十年前のことだ。

今、当たり前にあるもの

現代のゲーム産業は映画産業を超える規模とも言われる。家庭用ゲーム機(PlayStation・Nintendo Switchなど)・スマートフォンゲーム・PCゲーム・オンラインゲームが並存し、年齢を問わない市場が形成されている。

eスポーツが競技として認知され、プロゲーマーが職業として成立し、ゲームのストリーミング配信が新たな娯楽産業になっている。

それがなかった時代

1970年代以前、「遊び」の場は屋外・テーブルゲーム・おもちゃが中心だった。

画面で遊ぶという概念は存在しなかった。テレビは見るものであり、操作するものではなかった。「画面の中のキャラクターを自分で動かす」という体験は、SF的な夢想に近かった。

ゲームに関連する先行技術として、1958年にブラウン管を使った「テニスゲーム(Tennis for Two)」が物理学者ウィリアム・ハイゲンボッサムによって作られたが、これはコンピュータではなくアナログ回路による実験装置だった。

どう変わってきたか

家庭用テレビゲームの歴史は1972年のAtari社「PONG」から始まるとされる。テニスを模した単純なゲームが大ヒットし、ゲームセンター(アーケード)文化の基礎を作った。

日本のゲーム産業の出発点は1978年のタイトー「スペースインベーダー」だ。喫茶店のテーブル型筐体として爆発的に普及し、100円玉が不足するほどの社会現象になった。

家庭用ゲーム機として決定的だったのは、任天堂が1983年に発売した「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」だ。当時15,000円という価格で発売され、「スーパーマリオブラザーズ」「ドラゴンクエスト」などのキラーソフトと共に家庭に普及した。1986年には日本のファミコン普及世帯数が1,000万を超えた。

1989年のゲームボーイ(携帯型)、1994年のPlayStation(3DCG)、2000年代のDS・Wii・スマートフォンゲームと、ゲームの形は変わり続けた。

遊びが変えた産業の枠

テレビゲームは「玩具」として出発し、「文化」になり、「産業」になり、「スポーツ」になった。

ゲームが与えた影響は遊びの領域を超えている。コンピュータグラフィクスの発展、UIデザインの標準化、ストーリーテリングの多様化、オンラインコミュニティの形成。これらの多くにゲーム産業が関わっている。

画面の中に自分が動かせるキャラクターがいる。この単純な発見が、半世紀かけて世界最大のエンターテインメント産業の一つを作り出した。

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