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外食がなかった時代、食事はすべて家の中で作るものだった

公開日:2026-10-24

外食がなかった時代、食事はすべて家の中で作るものだった

店に入れば食事ができる。その当たり前の外食文化は、江戸の屋台文化から始まり、今や家庭の食卓を超える市場になった。

夕方になって、今日は外食にしよう、という日がある。

ラーメン屋でも定食屋でもファミレスでもよい。お金を払えば、誰かが作った温かい食事が目の前に出てくる。これほど当たり前の選択肢が存在するのは、外食産業という巨大な仕組みがあってこそだ。

今、当たり前にあるもの

日本の外食産業の市場規模は約26兆円(2019年、日本フードサービス協会調べ)で、食に関する支出の中でも大きな割合を占める。ファミリーレストラン、牛丼チェーン、ラーメン店、回転寿司、コンビニ弁当も広義では食の外部化として数えられる。

一人暮らしの割合が高まり、「自炊が面倒」「料理が得意でない」という人にとって、外食・テイクアウト・デリバリーは生活の基盤になっている。

それがなかった時代

外食文化の長い歴史を持つのは江戸時代の江戸だ。

江戸は大量の単身男性(参勤交代で来た武士、地方から出稼ぎに来た職人など)が集まった特殊な都市で、自分で料理する環境がない人が多かった。それに応えるように発達したのが屋台文化だ。

「屋台」は天秤棒に荷物を担ぐ移動式の食べ物屋で、寿司・蕎麦・天ぷら・おでんなど多彩なメニューが手頃な値段で提供されていた。現代のファストフードに相当する存在で、江戸の人々は自炊よりも外食が多かったとも言われる。

農村部では事情が異なる。農家の食事は自作・自炊が基本で、家族総出で農作業をしている間は、かまどで炊いた飯と漬物・味噌汁が中心だった。田植えや収穫の時期には、近所が協力して「結(ゆい)」という共同作業を行い、その場で食事を出し合うこともあったが、それは外食とは性格が異なる。

どう変わってきたか

明治以降、西洋料理が入ってくるとともに「レストラン」「食堂」という業態が都市部に広まった。1877年(明治10年)頃には東京に西洋料理店が登場している。

1950〜60年代の高度経済成長期には、会社員の昼食需要が増え、職場近くの大衆食堂やそば屋が繁盛した。1970年代にはファミリーレストランが登場し、家族連れで外食するという文化が広まった。

1970年代後半から80年代にかけて、マクドナルド・ケンタッキーフライドチキンなどのファストフードが日本に上陸し、10代・20代を中心に外食の形を変えた。1990年代には牛丼・ラーメンなどのチェーン店が全国展開し、低価格の外食が日常化した。

「作ること」の価値の変化

外食の便利さが当たり前になると、料理は「することが当然」から「できればした方がよい」という位置づけに変わりつつある。

一方で、料理レシピのSNS人気や、自炊ブームの周期的な到来を見ると、食べることと作ることの喜びは外食産業がどれだけ発展しても消えていないようだ。誰かが作ったものを食べる便利さと、自分で作ったものを食べる充実感は、今もそれぞれの場所に存在している。

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