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農機具がなかった時代、稲刈りはすべて手作業だった

公開日:2026-10-15

農機具がなかった時代、稲刈りはすべて手作業だった

コンバインが一時間で刈り取る面積を、かつての農家は何日もかけて鎌で刈った。その差が、日本の農業人口を激変させた。

10月、田んぼには金色の稲穂が揺れる。

そしてコンバインが走り出す。大型の機械が稲を刈り、脱穀し、袋に詰めるまでを数時間でこなす。一台で何十ヘクタールもの田んぼを処理できるその姿は、100年前の農家には想像もできない光景だった。

今、当たり前にあるもの

現代の稲作は機械化が前提だ。田植え機で苗を植え、田んぼの管理にはドローンが使われることもある。収穫期にはコンバインが稲刈りと脱穀を同時にこなし、乾燥機で含水率を調整する。一連の作業を少人数で効率的にこなせる仕組みが整っている。

2020年時点で日本の農業就業人口は約136万人で、1960年の約1,200万人から大幅に減少した。機械化がなければ、これだけの食料を少ない人手で生産することはできなかった。

それがなかった時代

近代農機具が普及する前の稲作は、徹底した手労働だった。

田植えは腰を曲げたまま田んぼに素足で入り、一本一本苗を植える。一反(約10アール)の田植えに一家総出で数日かかることもあった。稲刈りは鎌(かま)で穂を束ねて刈り取り、「はざかけ」と呼ばれる稲架に干して乾燥させ、その後「千歯こき(せんばこき)」と呼ばれる道具で穂から籾(もみ)を取り外す脱穀を行い、唐箕(とうみ)という風で籾とゴミを分ける装置を使って選別する。

各工程に数日から数週間かかり、農村全体が「稲刈り」という共同作業に動員される時期があった。これを「秋の農繁期」と呼び、学校も農作業を優先して休みになることがあった。

村ごとに「結(ゆい)」と呼ばれる農作業の相互扶助組織があり、隣家の田んぼを手伝い、手伝ってもらう助け合いの慣習が機能していた。

どう変わってきたか

日本農業の機械化は戦後から急速に進んだ。

まず普及したのは動力耕耘機(耕運機)だ。1950年代に牛や馬による耕作から機械による耕作への移行が始まった。田植え機は1960年代後半から実用化され、1970〜80年代に急速に普及した。収穫・脱穀を同時に行うコンバインも同時期に普及し、農作業の所要時間と必要人員を劇的に減らした。

農業の機械化は農村の人口流出と表裏一体で進んだ。機械があれば少人数で農業ができるため、若い労働力が都市部の工場や企業へ向かうことができた。高度経済成長を支えた都市部の工業労働力の多くは、農村から流入した人々だった。

道具が変えた農村の姿

稲刈りに一家・村総出で取り組んでいた時代、農業は個人の仕事であると同時に、地域の共同作業でもあった。

コンバインの普及は農作業の孤独化でもある。一人で機械を操作して田んぼを回り、数時間で作業が終わる。効率は上がったが、「収穫の喜びを村で分かち合う」という場面は薄れた。

10月の田んぼにコンバインの音が響くとき、その機械の中には、かつて何十人もの手で刈り取っていた同じ稲穂がある。

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