マンガがなかった時代、絵と言葉が一緒になる形式は自明ではなかった
公開日:2026-11-04
吹き出しの中にセリフが入り、コマが左から右へと流れていく。現代マンガの形式は、戦後の日本で作り上げられた独自の表現様式だ。
コマを追い、吹き出しを読み、次のページへめくる。
マンガを読むという行為は、習得した人間には無意識にできるが、学習なしには理解できない表現形式だ。「右から読む」「吹き出しは話者の近くにある」「効果線は動きを示す」。これらは世界で最も普及した視覚言語の一つとなったが、現代マンガの形式が確立されたのは20世紀のことだ。
今、当たり前にあるもの
日本のマンガ産業は年間数千億円規模で、少年・少女・青年・女性向けと多様なジャンルが出版されている。週刊少年ジャンプなどの雑誌は数百万部の発行部数を誇り、デジタルコミックの普及でスマートフォンでの読書も一般的になった。
日本マンガは「MANGA」として世界に輸出され、フランス・アメリカ・アジア各国に多くの読者を持つ。
それがなかった時代
絵と文字を組み合わせた表現の歴史は長い。鳥羽絵(平安後期)や戯画(江戸期の浮世絵師・葛飾北斎の漫画)など、日本には絵で物語を表現する伝統があった。
明治時代に欧米の「コミックス」や新聞の風刺漫画(カリカチュア)が入ってきた。北沢楽天らが新聞・雑誌で4コマ漫画・風刺漫画を発表し、「漫画」という言葉が普及した。しかし戦前の「漫画」は基本的に風刺や笑いを主眼とするもので、長編ストーリーを展開するものではなかった。
どう変わってきたか
現代マンガの形式を確立したのは手塚治虫(1928〜1989年)だとされる。
1947年に発表した「新宝島」(作:酒井七馬、作画:手塚)は、映画的なコマ割り・角度の変化・スピード感のある表現を使い、当時の子どもたちに大きな衝撃を与えた。40万部(当時としては異例の部数)を売り、戦後マンガの方向性を決定づけた。
手塚は映画からコマ割りの発想を取り込み、クローズアップ・俯瞰・パン(横方向の視点移動)など映像技法をマンガに移植した。これが現代マンガに引き継がれる「シネマ的マンガ表現」の源流だ。
1950〜60年代の貸本マンガ文化、1960年代の少年誌・少女誌の成長、1970年代のスポーツ・少女マンガの多様化、1980〜90年代のジャンプ黄金期と続いて、マンガは日本で最大の出版カテゴリのひとつになった。
マンガが作った読解力
マンガを読む能力は習得されるものだ。
同じコマがあっても、読んだことのない人には「どの順に読むか」「吹き出しは誰が話しているか」が分からない。マンガの「文法」——読む方向、吹き出しの形と内容の関係、効果線の意味——は、読書を通じて身につく暗黙知だ。
この文法が世界で通用するようになったとき、「MANGA」は言語の壁を超えた視覚言語になった。日本の戦後から生まれた表現形式が、21世紀のグローバルな文化になるとは、手塚治虫も予想していなかっただろう。