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受験がなかった時代、身分は生まれによって決まっていた

公開日:2026-10-21

受験がなかった時代、身分は生まれによって決まっていた

試験を受けて合格すれば上の学校へ進める。その仕組みは、生まれによって将来が決まっていた時代からの、大きな転換点だった。

試験を受けて合否が決まる。

受験は今の日本社会に当たり前に存在するが、能力や努力によって進路が決まる仕組みは、長い歴史の中では例外的な制度だ。ほとんどの時代において、人の将来は生まれによって決まっていた。

今、当たり前にあるもの

現代の日本では、高校・大学・専門学校への進学に入学試験がある。学力や面接・実技の結果で合否が決まり、出身家庭の経済力や親の職業は(建前上は)関係ない。

公立学校の教育を受けた上で、全国どの高校・大学も試験で受験できる。大学入学共通テスト(旧センター試験)は毎年50万人前後が受験する大規模な選抜試験だ。奨学金制度により、経済的事情があっても進学できる道が用意されている。

それがなかった時代

江戸時代の日本は士農工商という身分制度があり、武士の子は武士に、農民の子は農民になるのが原則だった。農民が突然武士になることは原則できず、職業は生まれによって固定されていた。

学ぶこと自体は否定されていなかったが、学んだ結果として社会的地位が上がるという仕組みは基本的になかった。武士の子が「藩校」で学び、農民・町人の子が「寺子屋」で読み書きを習うという分離があり、目指すべき進路も学ぶ内容も身分によって分かれていた。

例外として、儒学者や医師など一部の学術職では、才能による登用が行われた場合もある。また中国には「科挙(かきょ)」という官僚登用試験があり、身分に関わらず合格すれば出世できる制度が唐代から清代まで続いた。

どう変わってきたか

明治維新後の1872年(明治5年)、学制が発布された。「邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」という言葉で始まる布告で、身分・性別にかかわらず教育を受けることが公式に方針とされた。

このとき同時に試験による選抜が導入された。小学校を経て中学校、高等学校、帝国大学へという進学の道が、試験によって開かれた。1886年の帝国大学令により、試験に合格した者が官僚・専門職への道を歩めるルートが制度化された。

これは士農工商という身分制度の廃止(1871年)と組み合わさって、「生まれでなく実力で将来を決める」という原則が制度として成立した転換点だった。

試験という選択の公平性

受験は「機会の平等」を象徴する仕組みとして機能してきた。しかし実際には、経済力のある家庭が塾や受験指導にアクセスしやすく、家庭環境による格差が再生産されるという批判もある。

それでも、「試験がなければ誰でもない私が選ばれない」という感覚と、「試験があれば努力が報われる可能性がある」という感覚は、受験という仕組みが持つ根本的な意味だ。身分で将来が決まっていた時代の後に生まれた選択肢として、その意味は今も続いている。

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