コートがなかった時代、日本人は冬の寒さをどうやってしのいでいたのか
公開日:2026-10-19
ウールのコートを一枚羽織れば外出できる。その当たり前の防寒は、西洋式衣服が入ってくる前の着物の工夫とは全く別の発想から来ていた。
10月も後半になると、コートを引っ張り出す季節になる。
クローゼットの奥からコートを取り出し、一枚はおって外へ出る。これが現代の秋冬の当たり前だが、コートという上着が日本に登場したのは明治時代のことで、それ以前の日本の冬支度は全く異なる発想で成り立っていた。
今、当たり前にあるもの
現代の防寒衣服はウール・フリース・ダウン・化繊綿など多様な素材で、薄くて軽く、保温性が高い。コートの下にニット、その下に肌着という重ね着が基本で、機能性下着(ヒートテックなど)は1枚でかなりの保温性を発揮する。
ファストファッションによって防寒衣服の価格が下がり、シーズンごとに新しいアウターを購入することも珍しくなくなった。
それがなかった時代
洋服(コート)が入ってくる前の日本の冬支度は、着物を「重ねる」ことが中心だった。
日本の伝統的な冬着は「綿入れ(わたいれ)」と呼ばれる綿を詰めた着物で、綿の保温性を利用して体温を保つ。さらに上から「どてら」や「丹前(たんぜん)」と呼ばれる厚手の羽織物を重ねた。
しかし素材は木綿か絹で、ウールのような保温性の高い獣毛繊維は伝統的な日本の衣服文化にほとんど登場しない。日本はもともと羊の牧畜文化がなく、ウールが輸入・普及したのは明治以降のことだ。
農村では稲わらで作った「蓑(みの)」が雨や寒さよけに使われた。これは現代のレインコートとダウンジャケットの機能を同時に担う道具で、軽くて保温性もあるが、見た目は現代の感覚では衣服とは映らない。
どう変わってきたか
明治以降、欧米から洋服と素材が輸入され、特に軍服・制服を通じて洋服文化が広まった。ウール製の軍用外套(がいとう)が官僚・軍人に広まり、それが民間の「コート」の原型になっていった。
大正〜昭和初期の都市部では洋服と和服が混在していたが、太平洋戦争後の物資不足の時代を経て、戦後の高度成長期に洋服が主流になっていった。ミシンの普及、既製服の大量生産、輸入衣料の解禁、これらが重なって洋服が当たり前になった。
化学繊維の発達は1960〜70年代以降で、ナイロン・アクリル・ポリエステルが衣服素材として普及し、安価な保温衣料が大衆に届くようになった。
防寒の発想の転換
着物の重ね着と、コートを羽織るという発想は、根本的に異なる。
重ね着は「層を増やして空気の層を作る」という発想で、コートは「外部との遮断と保温を一枚で担う」という発想だ。現代の機能性ウェアはこの両方の知恵を組み合わせたものともいえる。
秋になってコートを手に取るとき、その一枚の中には、羊毛文化と着物文化という異なる防寒の知恵が融合した歴史がある。