市場がなかった時代、食材は自分で育てるか、物々交換で手に入れた
公開日:2026-10-18
行けば食材が揃う場所がある。その当たり前は、農耕が始まり、余剰作物が生まれ、人が集まって交換する場を作った歴史の上にある。
朝市に行くと、野菜・魚・果物が並んでいる。
生産者から直接買える朝市や市場が、近年見直されている。しかしそもそも「市場」という場は、どうして生まれたのだろうか。食材を売り買いする場所が存在しない時代、人々はどうやって食べるものを手に入れていたのか。
今、当たり前にあるもの
現代の食材流通は高度に組織化されている。産地から卸売市場へ、そして小売店へ。生鮮食品は低温コールドチェーンで運ばれ、鮮度を保ちながら消費者のもとへ届く。スーパーへ行けば全国各地・海外の食材が並ぶ。
卸売市場(東京の築地・豊洲など)は、毎朝競りが行われ、その日の価格が形成される。価格は需給で決まり、大量の情報が取引に反映される。
それがなかった時代
農耕以前の採集・狩猟の時代、食べ物は自分たちで得るものだった。採れたものをその場で消費し、余れば共同体で分ける。「売る」「買う」という概念自体が存在しない。
農耕が始まると余剰生産が生まれる可能性が出てくる。作物が余れば、自分にないものと交換できる。集落の近くで定期的に人が集まり、物々交換を行う場が生まれた。これが市場の原型だ。
日本の古代の「市(いち)」は、飛鳥時代・奈良時代の記録に登場する。「難波津の市」「藤原宮の市」などが文献に残り、農産物・布・工芸品が取引された。平安時代には京の左市・右市が設けられ、朝廷が市場を管理・課税する仕組みが整った。
江戸時代の都市では、魚市・青物市・米市など品目ごとの専門市場が発達した。江戸の魚市(現在の築地の前身となる日本橋魚市)は江戸初期から機能し、将軍家御膳所の残り魚を扱うことで始まったという説がある。
どう変わってきたか
明治以降、近代的な市場制度が整備された。1923年に「中央卸売市場法」が制定され、大都市に卸売市場が設置されて産地と消費地を結ぶ流通システムが標準化された。
戦後は冷蔵・冷凍技術の発達により、生鮮食品の長距離輸送が可能になった。北海道の魚が東京で翌日に食べられるようになったのは、物流と低温管理の発達の結果だ。
スーパーマーケットの普及とともに、消費者が直接卸売市場を訪れることは減ったが、飲食店や鮮魚店は今も市場を利用している。
市場の余韻
朝早く市場に行くと、競りの声、積み上げられた魚箱、せわしなく動く仲買人の姿がある。その活気は、農業社会が生んだ「集まって交換する」という人間の根本的な行為の延長だ。
産直や農家市場が人気を集めるのは、流通の効率化が進んでも、生産者と消費者が顔を合わせる場への需要が消えていないからかもしれない。人が集まり、食べ物をやり取りするという行為に、市場はずっと応え続けてきた。