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下水道がなかった時代、都市の不衛生は想像を絶していた

公開日:2026-10-06

下水道がなかった時代、都市の不衛生は想像を絶していた

トイレを流した水は、見えないパイプの中を進んで処理される。その当たり前の仕組みが整うまで、都市の路地は別の世界だった。

水洗トイレを流すと、汚水は見えない場所へ消える。

下水道管の中を流れ、処理場へ運ばれ、きれいな水に戻されてから川に放流される。使う側にはその過程が見えないし、見えなくて当然の仕組みになっている。しかしこの「見えない仕組み」が整うまでの都市の姿は、現代の感覚では想像しにくいほど違っていた。

今、当たり前にあるもの

日本の下水道普及率は2022年時点で約80%だ。都市部ではほぼ100%に近く、下水道が未整備の地域では合併処理浄化槽が同様の役割を担う。

処理後の水は河川の水質基準を満たすレベルまで浄化され、汚泥は農業用肥料や建材に再利用される。都市の地下には複雑な管網が張り巡らされており、その総延長は日本全国で50万キロメートルを超えるとされる。

それがなかった時代

近代下水道が整備される前の都市では、汚水や廃棄物は路地に垂れ流されていた。

ヨーロッパ中世の都市では、排泄物を窓から路上に投げ捨てる習慣があったことが文献に残っている。19世紀半ばのロンドンでは、テムズ川が都市全体の廃水を受け入れる「大下水」と化していた。1858年には「大悪臭(グレート・スティンク)」と呼ばれる事態が起き、テムズ川の臭いが国会議事堂内まで漂ったため、ようやく下水道整備が本格化した。

日本の江戸では、少し事情が異なっていた。江戸は「リサイクル社会」として知られ、排泄物(し尿)は肥料として農村に売られていた。し尿回収業者が定期的に巡回し、農村へ運んで田畑の肥料にする仕組みが機能していた。これは衛生的に優れた面もあったが、コレラなど感染症の原因菌が肥料経由で野菜に付着するリスクも伴っていた。

どう変わってきたか

日本で近代下水道が整備されはじめたのは、明治時代に入ってからだ。横浜での整備が1881年(明治14年)と比較的早く、続いて東京・大阪でも整備が進んだ。しかし全国への普及は遅く、戦後しばらくは下水道のない地域がほとんどだった。

1970年代以降、高度経済成長が一段落し環境問題が深刻化する中で、下水道整備が国の重点政策になった。1970年に制定された「下水道整備緊急措置法」を契機に整備が加速し、川の水質が改善されていった。

下水道の普及とともに、水洗トイレが一般家庭に普及した。逆に言えば、下水道がなければ水洗トイレは成立しない。両者は一体の社会インフラとして整備されてきた。

見えないものを支える

下水道は「使えて当たり前」で、壊れたときにはじめて存在を意識される設備だ。

2020年代には日本各地で老朽化した下水道管の補修が課題になっている。高度成長期に整備された管の多くが耐用年数に達しており、更新に必要な費用が膨大だ。

路面が突然陥没するニュースの多くは、老朽化した下水道管の破損が原因だ。見えないところで整備が続いているからこそ、トイレを流した水が消えていく日常が保たれている。

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