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道路標識がなかった時代、旅人はどうやって分かれ道を判断したのか

公開日:2026-09-25

道路標識がなかった時代、旅人はどうやって分かれ道を判断したのか

交差点に立つ標識は今では当たり前の存在だ。しかし統一された道路標識が整備されたのは近代のことで、それ以前の旅人には別の手がかりがあった。

交差点に近づくと、スピード制限・進行方向・駐車禁止の標識が目に入る。

車を運転する際、道路標識は安全の基盤だ。しかしこの標識制度が整備されたのは20世紀のことで、それ以前の旅人が分かれ道を判断する手がかりは、全く異なるものだった。

今、当たり前にあるもの

日本の道路標識は「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」に基づいて全国統一の基準で設置されている。規制標識・警戒標識・案内標識など数百種類の標識が全国で約1,200万本存在する。

国際基準に合わせた標識デザインにより、外国人ドライバーにも理解できる体系が整備されている。

それがなかった時代

江戸時代の街道に置かれていたのは「道標(みちしるべ)」という石柱だ。「右 東海道」「左 中山道」のように行き先と方角を刻んだ石柱が、主要な分岐点に設置されていた。

これらは幕府が整備したものもあるが、地域の豪農・商人・寺院が寄進したものも多く、設置場所・様式・情報の詳しさは場所によって異なった。見落とすことや読み間違えることもあり、確実な情報源ではなかった。

地元の人に道を尋ねることが最も確実で、街道沿いの茶屋・旅籠では「○○へはどう行けばよいか」という質問が日常的に飛び交った。

宿場の「高札(こうさつ)」は幕府の法令や情報を掲示するもので、行政の伝達手段として機能したが、道案内ではなかった。

どう変わってきたか

近代的な道路標識の概念は自動車の普及とともに生まれた。国際的には1909年にパリで「国際道路会議」が開催され、欧州各国が標識の統一化を進め始めた。

日本では1907年(明治40年)に初めて自動車交通規則が設けられ、1919年(大正8年)の「道路法」制定に伴って標識の整備が始まった。本格的な標識体系が整ったのは戦後のことで、1960年の道路交通法施行とともに現在の標識制度の基礎が作られた。

高速道路の整備(東名高速道路は1969年全線開通)に合わせて、遠距離案内標識の整備も進んだ。

道の情報は誰が作るか

道標の時代、道の情報は旅の積み重ねと地域の善意によって作られていた。

石柱一本を設置するには費用と労力が必要で、それを誰かが負担することで旅人が道を知ることができた。情報のインフラを誰が・どのように維持するかという問いは、現代のデジタル地図サービスにも通じる。

Googleマップを「誰が」維持しているかを意識することは少ない。道を教えることの価値は、その仕組みが見えなくなるほど当たり前になった。

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