税金がなかった時代というのは、文明社会では存在しなかった
公開日:2026-10-22
払いたくないと思うものの筆頭に挙げられる税金は、実は国家や社会が存在するかぎり、どの時代にも形を変えながら存在し続けてきた。
消費税、所得税、住民税。
税金の種類を数えると、それなりの数になる。給与から自動的に引かれ、買い物のたびに乗せられ、存在を意識するのは確定申告の時期くらい、という人も多い。しかし「税金なしで社会が成り立った時代」というのは、組織的な社会の歴史の中では存在しなかった。
今、当たり前にあるもの
現代の税制は所得税・法人税・消費税・固定資産税など多くの税目から構成される。徴収された税は社会保障(医療・年金・介護)、教育、インフラ整備、防衛、行政サービスなどに使われる。
日本の消費税は1989年(平成元年)に3%で導入され、現在は標準税率10%(食料品等は8%)だ。税制は時代ごとに変化し続けている。
それがなかった時代(ではなく変わり続けた)
税金の形は時代によって全く違うが、どの社会でも何らかの形で集団への貢献・負担が求められてきた。
古代日本の租税制度は「租庸調(そようちょう)」という三種類が基本だった。「租」は収穫した米の一部を国へ納める(物納)、「庸」は都での労役または布・糸での代納、「調」は地域の特産品を都へ納める。現代の「お金を払う」という形ではなく、「物や労働力を差し出す」形だった。
さらに古くは、部族社会での共同作業への参加そのものが一種の「税」だった。集団の農作業、城壁の建設、王への貢ぎ物。名称は違っても、組織的な社会では必ず「個人が集団へ何かを差し出す」仕組みが存在した。
江戸時代は年貢(ねんぐ)制度で、農民は収穫の約40〜50%を藩へ納めることが一般的だった。「五公五民(ごこうごみん)」と言われる徴収率は現代の感覚では重く、農民の生活は常に年貢の重さと隣り合わせだった。
どう変わってきたか
明治維新後の1873年(明治6年)、「地租改正」が行われた。それまでの物納(米)から金銭での納税(地価の3%)に変わった。これは農民にとって大きな変化で、豊作でも不作でも地価に応じた固定額を納めなければならなくなった。
1940年、戦時体制の中で「源泉徴収制度」が導入され、会社が従業員の代わりに税を天引きして納める現代の仕組みが始まった。これにより、多くの給与所得者は税を「自分で払う」実感を持ちにくくなった。
消費税は1988年(昭和63年)に成立、1989年から施行された。当初3%だったが、財政赤字と社会保障費の増大を背景に段階的に引き上げられた。
税の意味を問い直す
税金はしばしば「取られるもの」として語られる。しかし水道・道路・消防・警察・学校・病院・年金という、日常生活の基盤の多くは税によって維持されている。
「税金がなければどうなるか」は、古代から現代まで問われ続けた問いだ。文明とは「個人が集団のために何かを差し出すことで、集団が個人を支える」という仕組みの積み重ねかもしれない。それが米であれ、労働であれ、お金であれ、形は変わっても構造は変わっていない。