公衆電話がなかった時代、外出先での急な連絡はどうしていたのか
公開日:2026-09-12
今や街から姿を消しつつある公衆電話。しかし携帯電話以前、公衆電話は外出先での命綱だった。それ以前はどうしていたのか。
赤い公衆電話の前に列を作って順番を待つ。そんな光景は、昭和の記憶の一枚だ。
携帯電話が普及した今、公衆電話は街から少しずつ姿を消している。しかし電話そのものがなかった時代、外出先で急いで誰かに連絡を取る方法は、根本的に違っていた。
今、当たり前にあるもの
スマートフォンがあれば、世界中のどこにいても瞬時に通話・メッセージ・メールが送れる。緊急の連絡も、移動中でも、深夜でも、通信さえつながれば相手に届く。
公衆電話は現在も約13万台が設置されているが、維持費の問題と利用者の激減により、設置数は年々縮小している。
それがなかった時代
電話が登場するはるか以前、外出先から緊急の連絡を届ける手段は「人を走らせる」ことだった。
飛脚(ひきゃく)は江戸時代に確立した民間の情報伝達業者で、手紙や荷物を目的地まで人が走って届けた。江戸〜大阪間を最速で3〜4日で届けられる「早飛脚」と呼ばれるサービスもあり、急ぎの商用連絡に使われたが、費用は非常に高価だった。
城や幕府の緊急連絡には「早馬(はやうま)」が使われ、街道沿いの宿場には馬の中継地点(伝馬所)が設けられていた。しかし庶民が使える手段ではなく、外出先での急用は基本的に「帰るまで待つ」しかなかった。
どう変わってきたか
日本に電話が登場したのは1890年(明治23年)で、東京〜横浜間で電話サービスが始まった。当初は富裕層や商家のみが電話を持てた。
公衆電話(当時は「共同電話」と呼ばれた)が街頭に設置されたのは1900年代初頭のことで、誰もが少額のコインで電話できる仕組みが広まった。
昭和時代には赤い公衆電話が街のシンボルになり、喫茶店・銭湯・商店の店頭に設置された「店頭電話」も連絡手段として機能した。携帯電話が普及し始めた1990年代後半から、公衆電話の利用者は急減した。
連絡できないことで生まれた約束
外出先からすぐに連絡できなかった時代には、「待ち合わせ」が今よりずっと重要だった。
「何時に○○の前で待つ」という約束が守られなければ、相手は来ないまま1時間でも2時間でも待ち続けるしかなかった。連絡できないことが前提だったから、約束の精度と信頼が今よりも重みを持っていた。
いつでも連絡できる時代になって、約束の重さが少し軽くなったかもしれない。