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橋がなかった時代、川をどうやって渡っていたのか

公開日:2026-09-21

橋がなかった時代、川をどうやって渡っていたのか

今は橋がかかり車や人が自由に渡る川も、かつては人の往来を阻む大きな障壁だった。江戸時代の人々が川を渡る方法とは。

橋を渡って向こう岸に行く。それは今や当たり前の行為だが、橋がない川を前にした人々は、渡ること自体が大きな課題だった。

江戸時代の日本では、橋の建設は軍事的な理由から制限されることもあり、川はそれ自体が防衛ラインとして機能していた。

今、当たり前にあるもの

現代の日本には約70万か所の橋があり、道路・鉄道・歩道用の橋が全国の川・海峡・谷を繋いでいる。明石海峡大橋(全長3,911m)・瀬戸大橋など長大橋も建設され、かつては船でしか渡れなかった水域に橋がかかった。

トンネルと組み合わせた本州四国連絡橋の開通(1988年)により、四国は橋で本州と繋がった。

それがなかった時代

橋が架けられていない川を渡る方法はいくつかあった。

「渡し(わたし)」は最も一般的な方法で、舟で川を渡すサービスが主要な川に設けられていた。渡し舟の船頭は重要な職業であり、渡し場は旅人が集まる場所でもあった。現在も「〇〇渡し」という地名が各地に残り、かつての渡し場の場所を示している。

水量が少ない時季・浅い川では「徒渡り(かちわたり)」、つまり歩いて渡ることもできた。しかし増水時は非常に危険で、流れに飲まれる事故は珍しくなかった。

川に石を並べた「飛び石(とびいし)」や、浅瀬に丸太を並べた「簀の子橋(すのこばし)」のような簡易な渡河手段も使われていた。

どう変わってきたか

江戸幕府は江戸防衛のため、利根川・荒川などの主要河川に橋を架けることを禁じ、渡しだけで渡らせる政策をとっていた。これは江戸への侵攻を困難にするための軍事的措置だった。

明治維新後、近代化の一環として橋の建設が進んだ。1903年に完成した東京の永代橋は当時の近代橋梁技術の成果であり、関東大震災(1923年)後の復興計画では多くの橋が鉄製に架け替えられた。

戦後の高度経済成長期には高速道路網の整備と並行して橋梁建設が急増し、日本の橋梁技術は世界トップレベルに達した。

川が分けるものと繋ぐもの

橋が架かっていない時代、川は物理的な障壁であると同時に、文化・言語・習慣の境界線でもあった。

「川向こう」は別の世界であり、橋のない川を挟んで対立する集落や、別の生活圏が形成されていた。橋が架かることは単なる交通の便利化ではなく、二つの世界を繋ぐ文化的な出来事でもあった。

現代では橋で難なく渡れる川のそれぞれに、かつて渡し舟が往復していた歴史がある。

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