花火がなかった時代、夜の祭りはどんな光で彩られていたのか
公開日:2026-09-15
夏の夜空に咲く大輪の花火。日本の花火文化は江戸時代に花開いたが、それ以前の夜の祭りを照らしていたのは別の光だった。
夏の夜空に大輪の花火が開く瞬間、歓声が上がる。
日本の夏の風物詩として定着した花火大会だが、火薬を使う花火が日本に入ってきたのは戦国時代のことで、庶民の娯楽として定着したのは江戸時代だ。それ以前の夜の祭りはどんな光で彩られていたのか。
今、当たり前にあるもの
現代の花火大会は全国各地で開催され、夏の期間だけで1,000件を超えるイベントが行われる。東京の隅田川花火大会・大阪天神祭・長岡まつりなど数万発規模の大会には数十万人の観客が集まる。
LEDや液晶を使った電子演出と組み合わさった現代の花火は、音楽に合わせた演出など多様な表現を生み出している。
それがなかった時代
花火が登場する以前、夜の祭りや儀式を照らしていたのは「篝火(かがりび)」と「松明(たいまつ)」だ。
篝火は鉄製の籠に薪や炭を入れて高く掲げるもので、神社・城・野外での儀式に使われた。炎の揺らめきが空間を照らし、神聖さと威厳を演出した。能楽の「薪能(たきぎのう)」は、篝火の光で演じられる幻想的な舞台として現在も受け継がれている。
盆踊りでは提灯(ちょうちん)を灯した「盆提灯」が広場を照らし、行列には「高張提灯(たかはりちょうちん)」が先を行った。提灯は行列の明かりとして、また家の前に飾る盆の明かりとして、夜の祭りに欠かせない道具だった。
どう変わってきたか
日本に火薬が伝来したのは室町時代末期(1543年のポルトガル人による鉄砲伝来と同じ時期)で、花火もこのころヨーロッパから伝わったとされる。江戸時代初期には将軍家が花火師を招いて鑑賞する文化があったが、庶民には遠いものだった。
1733年(享保18年)、隅田川で「両国川開き」が行われたのが、現在の隅田川花火大会の起源とされる。疫病と飢饉の犠牲者の霊を慰めるために花火が打ち上げられ、これが大衆の娯楽として定着した。
江戸の花火師は「鍵屋(かぎや)」と「玉屋(たまや)」の二大流派が競い合い、観衆が「鍵屋〜!」「玉屋〜!」と掛け声をかける習慣が生まれた。
光が持つ意味
篝火・提灯・花火——いずれも「暗い夜に光を生み出す」行為だ。
電灯のない時代、夜の暗闇は現代人が想像するより深く、光は単なる実用品ではなく神聖さや喜びの象徴だった。祭りの夜に光が溢れることは、日常とは切り離された特別な時間の始まりを意味した。
LEDが街を照らす現代に、花火の炎が今も特別に感じられるのは、光を焦がれた時代の記憶が人の心に残っているからかもしれない。