電卓がなかった時代、複雑な計算はどうやっていたのか
公開日:2026-09-10
数字を入力すれば瞬時に答えが出る電卓。それが登場する前、人々は算盤と暗算と筆算で複雑な計算を処理していた。
数字を入力してイコールを押せば、瞬時に答えが出る。
この当たり前が実現したのは1960年代のことだ。それ以前の日本では、計算は算盤・暗算・筆算によって行われ、「計算が速い」ことは高く評価されるスキルだった。
今、当たり前にあるもの
電卓はスマートフォンの標準アプリとして内蔵されており、独立した電卓機器を持つ人は減っている。表計算ソフト(Excel等)は膨大なデータを瞬時に集計・分析でき、統計処理・財務計算・科学計算が一般の業務でも当たり前になった。
「計算する」という行為は人間からコンピュータに委譲され、人間が担うのは「何を計算するか」を決める部分になりつつある。
それがなかった時代
電卓が登場する前の日本で、計算の主役は「算盤(そろばん)」だった。室町時代に中国から伝わった算盤は、江戸時代に日本全国の商家・武家・寺子屋に普及し、日本人の必須スキルになった。
熟練した算盤師は、暗算と同等かそれ以上の速度で計算できた。算盤を両手で操る「両手算盤」という技法も存在し、珠算の段位制度は今もスキルの証として機能している。
大規模な土木工事や税の計算では「和算(わさん)」という日本独自の数学が発達し、算術師が請け負った。関孝和(せきたかかず)は17世紀に西洋から独立して行列式や円周率の近似を研究し、江戸時代の和算は世界水準の数学を生み出していた。
どう変わってきたか
世界初の電卓は1963年にイギリスで製造されたが、重さ15kgを超える巨大なものだった。日本では1964年にシャープが国産初の電卓「コンペット CS-10A」を発売。価格は535,000円と当時の大卒初任給の約20倍だった。
その後、半導体技術の進歩により電卓は急速に小型・低価格化した。カシオ・シャープ・キヤノンなどの日本メーカーが世界市場でシェアを争い、1970年代には電卓の価格は一般家庭でも買えるレベルまで下がった。
電卓の普及により、算盤教育の意義が問われるようになり、学校教育での算盤の位置付けは変化した。
計算できることの意味の変化
算盤の時代、「計算できる」ことは職業的な優位性を持つスキルだった。
商家の番頭が算盤を素早く弾いて正確に計算を出す能力は、信頼と収入に直結した。現代では電卓・コンピュータが計算を担うため、「計算の速さ」そのものに職業的価値はほぼなくなった。
代わりに「データから何を読み取るか」という判断力が求められるようになった。道具が変わることで、人間に求められる能力も変わってきた。