電報がなかった時代、急ぎの知らせは足で運んでいた
公開日:2026-10-07
電線を通じて文字を瞬時に届ける。その技術が登場する前、緊急の知らせを遠くへ伝える手段は走ることだけだった。
かつて、結婚式の祝電というものがあった。
式場に電文が届けられ、司会者が読み上げる。送り主の名前と短い祝いの言葉が、遠方から届く。それが特別なことに感じられたのは、文字を瞬時に遠くへ届けるという行為自体が、つい最近まで特別なことだったからだ。
今、当たり前にあるもの
電報は今もNTTが「でんぽっぽ」などのサービスとして提供しているが、通信手段としての主役はとっくに電話・メール・SNSに移っている。速報性という点でいえば、スマートフォンのメッセージが数秒で世界中に届く現代では、電報の役割は祝電・弔電という「儀礼的な形式」としての意味が中心になった。
それがなかった時代
電報が登場する前の時代、急ぎの知らせを遠くへ届ける手段は「人が走る」か「馬が走る」かだった。
古代日本には「駅伝制」があり、街道沿いに駅(うまや)を設置して、次の駅まで馬で走り、そこで別の馬に乗り換える仕組みで急使を送っていた。江戸時代には「飛脚(ひきゃく)」と呼ばれる専業の使者が、江戸から大阪間を3〜4日で走り届けた(急ぎ便の場合)。これが当時の「最速」だった。
それ以前、たとえば戦国時代の合戦の知らせ、火急の外交連絡は、人が走る速さを上限としていた。敵軍の動向が届いたときには、すでに状況が変わっていることも珍しくなかった。
どう変わってきたか
電気を使って信号を遠距離に送る技術は19世紀に開発された。英国のクック・ホイートストン式電信とアメリカのモールス式電信がほぼ同時期に実用化され、1844年にモールスが「What hath God wrought(神が成したもの)」という最初の公式電文を送信した。
日本に電信が導入されたのは1869年(明治2年)で、東京〜横浜間に電信線が引かれたのが始まりだ。その後、全国に電信ネットワークが広がり、1871年には長崎〜上海間の海底電信ケーブルも開通した。飛脚で3〜4日かかった東京〜大阪間の連絡が、瞬時に届くようになったのだ。
1890年に電話が登場してからも、電報は長く使われ続けた。電話は「声を届ける」ものだが、電報は「文字として残る」という特性があり、公式な知らせや記録に適していたからだ。
速さが変えたもの
通信の速さが変わると、社会の動きが変わった。
株式市場では、電報によって遠隔地の価格情報が瞬時に共有され、相場の形成が変わった。戦争では、前線からの情報が即座に指揮部へ届くようになり、作戦の立案と実行が変わった。政治では、遠隔地の選挙結果がその日のうちに都市部に届くようになった。
祝電・弔電を届けるという今の使われ方は、電報本来の革命性からすればずいぶん静かな晩年だ。しかし「文字を瞬時に遠くへ」という、その最初の驚きは、スマートフォンで友人にメッセージを送る今も、構造としては続いている。